420「様式美」
419「一座と文音」
418「連句の挨拶」
417「ここ旬日」
416「わが風邪」
415「庭師さん」
414「特殊な連句たち」
413「さるまた」
412「忌み言葉」
411「どぜう」

410「五分の魂」
409「天狗俳諧」
408「さくらはさくら」
407「こんなときに」
406「日誌」
405「猫じゃ猫邪」
404「自己医院」
403「指事情」
402「××試飲会」
401「コラムetc」

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コラム「その21」「その22」

440「言葉・好き嫌い」
439「たかだか石ころ」
438「今わの際」
437「イエスとガンジー」
436「医療革命1」
435「河童近況」
434「河童救急」
433「詩のお値段」
432「現代詩手帖6月号」
431「ペット税」
430「間違いだらけ・・」
429「言外の言」
428「パソコン検索」
427「もしもし談義」
426「現代詩手帖賞のこと」
425「上諏訪街道・春の呑みあるき」
424「鳥たち」
423「啓蟄」
422「四季ぶりの御神渡り」
421「河童昇天?」

440『言葉・好き嫌い』

就職活動を略して「就活」というが、理想の相手を見つけ、幸せな結婚を求めてさまざまな活動をすることを「婚活」という。この辺まではよいとして、亭主の不埒な証拠の収集をしたり家計費をかすめて貯えたりと、離婚のための活動をいう「離活」にはあきれかえる。最近はやっている人生のエンディングのための活動をいう「終活」は、最期の準備は必要であろうが、一連の「活の用語」の括りのなかの言葉としては好きではない。

言葉の好き嫌いでいえば、「視線」があるのに「目線」はまかりならぬ。目線は「広辞苑」にも収載され、もと、映画・演劇・テレビ界の語とある。役者の目の配りやカメラアイなど、より直接的な目(アイ)を指すのだろう。その意味では「目視」に近くて嫌いではないが、間接的な感性的な意味合いをふくむ視線の語の代わりにはならない。ご勘弁願いたい。

「馬糞ウニ」なるウニがある。形や色が馬糞に似ているからの語で、北海道では馬糞ウニの踊り食いもあり、海水の塩味でウニの甘味が引き立つという。

食い物でもう一つ、仙台名物の「牛タン」。牛の舌の料理で「タン」は英語で舌を意味するtongue」の音に由来する。筆者食したこともないが「舌」を食べるイメージと、この名称を聞いただけで食欲減退する。いただけない。

「鋭意・善処・検討します」は「そのまま。何もしない。お断りします」のお役所言葉。「拳銃を抜くか、抜かぬか。やるか、やられるか」の即断が好きな西部劇ファンの筆者には、このお役所言葉は間怠(まどろ)っこしい。

「どや顔」という新語がある。「どや」は関西の方言で「どうだ?」の意味で、したり顔、自慢げな顔、得意満面のさまをいう。

顔序でにいうと、自分の顔について筆者、あまり自信がない。というより、好き嫌いでいえば好きではない。鏡に映してうっとりする顔でもないので鏡は敬して避ける。

二十代後半のころの筆者、妹の友だちから江原真二郎に似ているとか、ジェームズ・ディーンにそっくりといわれた。親父が縮れっ毛でポマードを塗るとハーフにみえ、その血を引いた筆者も櫛が通らないほど縮れっ毛だったので、ジェームズ・ディーンにみえたのかもしらん。いまでも「ズラ()」をかぶれば捨てたものでもないだろう。

「男の顔は履歴書」という。つづけて「女の顔は請求書」ともいうらしい。前者は苦楽や過去が自ずから顔にあらわれること、後者は顔の化粧や美容に金がかかることをいうのだろうか。(2012/10/08)

 

439『たかだか石ころ』

松尾芭蕉は詩における先達として、李白、杜甫、西行、定家の四人を敬愛していた。俳号をよく変えた芭蕉だが俳号の一つである「桃青」とは「桃の青」であり、李白の「李の白」との対比のパロディ、つまり、もじりではないかといわれている。桃(モモ)VS李(スモモ)、青VS白という「衝突の妙」を狙ったのだろうと。

それはともかくとして、李白や杜甫など盛唐の詩人たちや聖人や古代中国の偉人たちの詩篇や文献は感服させられるものがある。文献や俚諺などが歳時記の季語になっているものさえあり、日本への影響も少なからずあった。

ところで昨今のテレビ報道で流れる中国の「反・日・デ・モ」、暴動や略奪はいったいなんだろう。あれが詩人や聖人を生んだ中国での出来事だろうかと得心できない。末裔たちもさぞ立派であろうと想像していたのに。いや、立派な人もいるには相違なかろうが・・・。

広い地球の大海の小さな「石ころ」である尖閣諸島。付近の海域の漁業権や海底に資源が眠っているともいわれるが、50年〜100年前は日中とも見向きもしなかった無人島が、いまはどうだ。

島とか領土とか境界とかいう話になると、人間は本能剥き出しになる。欲の皮の突っ張った爺さん同士の、隣家との土地の境界線争い・・・それと変わらないレベルではないか。

『出雲国風土記』に『国引き神話』があり、八束水臣津野命が国をつくるとき狭すぎるので北陸の「三穂の埼」に荒縄をかけ「国来、国来(くにこ、くにこ)」と引っ張ってきた。さらに別の国土もいくつか引っ張ってきて島根をつくったと『古事記』にある。どうやら神様も領土ともなると本性剥き出しのようだ。

領土については、人間ふしぎに熱くなる。日頃はあまり表にださない人間の動物としての本能の「テリトリー」が首をもたげる。居場所あるいは生存圏が侵されるという危機意識をもつのだろうか。危機意識をもつのは仕方がないが、マーキングするのは慎みがない。おしっこをかけ廻るのは、はしたない。

そうはいっても人間は動物ではない。そして尖閣諸島は「たかだか石ころ」であり、そもそも論的には地球は誰のものでもなく、むろん固有の国のものでもないはずだ。問題の尖閣諸島も「日中友好特区」として共同開発したら、どんなもんだ?

「友好」を謳いながら裏仕事として石原の好きな「カジノ特区」をつくってもよく、けんか好きには「格闘技特区」をつくれば盛り上がるだろう。こんなことを書けば巫山戯ているといわれそうだが、戦争するよりも人間的な「解決法」と思わないか。(2012/09/29)

 

438『今わの際』

「今わの際」という言葉がある。死にぎわ。臨終のこと。呼吸が停止する寸前の最期のひと呼吸は、どんな拍子で息を引き取るのだろうか。持病があって寿命が尽きるにしても、何かきっかけがあってのことだろうか。

筆者が救急車で救急救命センターに運び込まれたとき、最高血圧は268、最低血圧は146だった。夜を徹して尿意と便意と激痛に耐えて頭は朦朧としてふわふわ、目は目視しているのに何を見ているのか分からず、これでは脳の血管が破裂して死ぬだろうと思った。今わの際とはこんなときだろうと思った。(頭の隅でそんなことが考えられたのは、今思うに余裕があったのかもしれない)。しかしそうして、死なずに生き延びた。

入院した日赤病院で、思いがけず次兄に出会った。次兄はあちらこちらの病院などを転々としていたが、偶然にも筆者と同じ病院の同じ病棟に転院してきたのだ。8月4日、筆者退院の日に顔を合わせることができた。久しぶりに会って彼の容貌は変わっていたがとても元気そうで、張りのある声で別の病院での四方山話や愚痴などを聞かせてくれた。

それから一ヵ月半後の9月20日、次兄が亡くなったという訃報をうけた。死亡時間は午前1時ころということで、あれほどに元気だったのにと狐につままれた感じだった。死はいつも突然で、思いがけないものかもしれない。

死と生の境、境界はどんな風になっているのだろうか。そこには頑丈「扉」などはなく、何かの拍子で「ひょい」という軽いのりで、ちょっとした勢いで「入れる」のではないか。「幽明境を異にする」というが「たましい」にとって、「幽」も「明」もたいして相違がないもののように思えてならない。

筆者の兄弟たち、家人の兄弟たちは連れ合いを含めると24人いるが(いたが)、年齢は70歳から85歳の目白押し。元気な者もいるが病気の者もいる。(すでに2人は亡くなってしまったが)。まさに幽界婿入り、幽界嫁入り「お年頃」の年代である。

寝たきりになったり痛みに苛まれたりするのは御免だが、筆者は死ぬことにあまり恐怖や悪い気はもっていない。「えい、やあ」で幽界入りすれば、向こうはむこうでそれなりに楽しいのかもしれないと思えたりするのだ。

死についての話が煮詰まってきたが・・・ところで筆者、すでに辞世を詠んでいる。俳句ではなくて詩だ。今わの際に辞世が詠める人はほとんどいず、元気のうちに詠むとか、没後に門弟が師匠のそれらしい詩歌を選んで表すことが多いといわれる。高名な歴史上の人物の辞世でも、全く別人の作品だと指摘されてもいるものもある(「連句年鑑」平成23年版・大駒誠一氏「辞世」参照)

辞世の詩を詠んで五年余になるが、どうしたわけか筆者、まだ死なない。五年前にはそろそろ死ぬかもと覚悟を決めて書いたのだったが・・・。その辞世の詩は五年前からすでにインターネット上に流れている。ネットサーフィンすれば誰でも読めるが読んでもらわなくてよろしい。生きているうちは内緒よ!(2012/09/23)

 

437『イエスとガンジー』

「右のほほをうたば左のほほもうたせよ」と、イエスはいった。また新約聖書の「マタイによる福音書」第五章、「ルカによる福音書」第六章には、「汝の敵を愛せよ」という言葉もある。つまり悪意を抱いて迫害する者に対して慈悲をもって接せよ、というのだ。

「汝の敵を愛せよ」とは「汝の敵を赦せよ」ということであろう。「右のほほをうたば左のほほもうたせよ」というイエスであっても、「汝の敵を友とせよ」とは決して言わない。敵が敵であることに相違ないのだから。敵であるものの存在を否定できず、認識せざるを得なかったのだから。

人間への寛容と愛情に満ちる慈悲深いイエスではあるが、すべてをあまねく包み込んでそれを愛し、それを赦していたわけでは決してない。「新改聖書マタイ26:52」には、「剣を取る者はみな剣によって滅びる」とある。

話はかわるが、マハトマ・ガンジーは「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上なく雄々しい心を持った人の武器として思いついたものなのです」といっている。

連日にわたって、「中・国の反・日・デ・モ」(サイバー攻撃を避けるため、文字の間に「・」を入れた)が報道されている。それから思い浮かんだ上記の言葉たちである。(2012/09/15)

 

436『医療革命』

今では古い慣用句に「畳の上で死ぬ」がある。事故死、変死、行き倒れなど不慮の死に様ではなく、穏やかな状況で最期を迎えるという喩えである。そういう意味の喩えでなくても、古い世代の日本人は「畳の上」の日本的な居心地を称えることが多い。じつは筆者もそのひとりだ。

先達て筆者、入院して一週間の病院暮らしをしたのだが、ベッドでの起き伏しもさることながらベッドのスプリングの強い反発に往生した。いやスプリングではなく現在は低反発のゴム製だというが、それでも「下からぐいぐい押し上げてくる」感じの反発なのだ。身体を伏しているときは問題が少ないが、起きて座るとお尻がとても痛い。手術の個所に近いので我慢できず、体位を頻繁に換えざるをえなかった。

「板のように硬いベッドはありませんか?」と看護士に訊いたが、これが一番硬いベッドだといわれた。電動で床の高低や背凭れ、フット角度などが調整できるのは大変ありがたいのだが・・・ふと考えた。畳のような感触の、いな畳そのもののベッドはないのだろうか。「畳ベッド」というものが。

退院後に「畳ベッド」の文字を入れてインターネットで検索すると意外や意外、あまたヒットしたのだった。高級品は10万円、安価なものは1万円余で買える。ただしこれらの商品は当然ながら一般用で、病院で患者に使用されるようにはなっていない。

病院の機器としての使い勝手や保守点検などは大変だろうが、いつの日か、病院で「畳ベッド」が希望できるようになるだろうか。(2012/09/04)

 

435『河童近況』

20日に日赤受診。道面ドクターの指示でとりあえず薬にて治療をつづけることになったが、21日の土曜日には早くも完全閉尿してしまった。今回は多少余裕があったので民間の救急の車をたのんで、日赤救命救急センターへ駆け込んだ。薬剤での治療では、筆者の場合効果がないだろうというのが「自己診断」であるが・・・。

24日に通常のかたちで受診した。ここで7月29日入院、30日手術が決まった。道面先生から病気や手術のことをいろいろ訊かされた。27日にはリスクの点など更に詳しい話があるという。

ともかく手術という方向が決まって、筆者はほっとしている。現在は「留置カテーテル」を取り付けているが移動のときに痛くてたまらず、痛み止めを貰って服用している。それでもむろん痛いが。痛いのは生きている証拠とよくいうが、それもそうかもしれない。(2012/07/24)

「留置」とは法律用語で、人や物を一定の支配下におくことをいう。逮捕された被疑者を留置する施設をいう「留置場」なることばもある。医療器具にいう「留置カテーテル」なることば、どうも気になってしょうがない。嫌でしょうがない。

筆者の「尿」が拘留され、囚われの身になっている。支配下におかれている。権力の意のままにされてしまった、わが愛すべき命の水の果てなる「尿」よ。嗚呼。(2012/07/25)

今日は29日の日曜日で入院する。明日は手術である。入院の用意や支度は大変だ。もっとも筆者でなく家人が大変である。大き目のカバンが二個、これに下着の数種類、タオルやバスタオルや歯ブラシ、コップ、スプーン、箸、ボールペン、メモ用紙などなど。服用中の薬や目薬や湿布などなど。ただしハサミ、爪きり、電気髭剃りは自傷するのでいけません。それでは行って来ます。(2012/07/29)

この「河童近況」が7月29日のまま更新されていないが、じつは筆者8月4日に退院した。

以下のことを書かねばならないが、退院翌日の5日が生き地獄だった。便秘が三日つづいて、日赤病院でも指示されていた下剤を飲んだが効かず、糞詰まりになってしまった。糞が詰まると尿もでず、これでは退院すべきでなかった。ふたたび救急搬送の世話にならなければならないではないか。

雪隠に長時間缶詰になり、家人の介護と施術をうけながら夜通し苦しんだ。手術後間もないのに金輪際とばかり力んで・・・これでは手術した部分がダメになったしまいのでは・・・たとえダメになっても仕方がないとさえ思った・・・そしてとうとう待望の「糞の海」がおとずれ、夜明けを迎えたのだった。嗚呼生きて、黎明を迎えたのだった。

(糞尿の話など誰も聞きたくないだろうが、糞尿の排出がこれほど命がけだとは七十余年知らずに生きてきた。人生観が変わるほどのものだった!)

6日からは主食も多めに摂り、野菜や果物もできるだけ食べ、水や茶も一日1000ccくらい摂って、糞尿第一主義的な食事を心がけている。

退院して9日目。5日を除いては筆者の「体管」の「出入り」は穏やかに経過している。腸を動かすという呼吸法も家人から教えてもらい、これも一日数回こころみているが確かに効果はある。

退院以来、フワッとした感じに打ち過ぎてきた。入院と手術の蓄積した疲れ、苦痛やストレスを堪えた後遺症のようなものがあるのだろう。病院生活で苦し紛れに考えたもろもろのこと、もろもろのアイデアなど機会があったら書いてみたいと思っている。きょうはお盆の入り。盆提灯を箱から出して二個組み立てて飾った。(2012/08/13)

 

434『河童救急』

15日朝7時ころと、17日朝2時ころとの二回、筆者は救急車を依頼して日赤病院救急救命センターへ運ばれた。排尿の障害でまったく尿が出ず、臨月のように腹部がパンパンに張った。便意と尿意、烈しい腹痛で14日は一睡もできず、16日は二時間くらいしか睡眠できなかった。

現在は留置カテーテルを使って導尿している。普通と違ってこれが筆者には堪える。限界を超えて「不自由」だ。痛みがあり、出血もある。病名は前立腺肥大症。筆者もようやく天皇陛下と同様の病名を得て、「宗匠」からランクアップしたようだ。

20日に再受診の予定。薬で治すか手術で治すかは、その時点でのドクター道面(どうめん)の判断に委ねられる。筆者は手術を望むのだが・・・。

けさ、これだけやっと書くことができた。「楽楽連句」や「ウェブ俳席」や興行中の「スワンスワン」「歌仙」が途切れて、連衆さんに迷惑がかかることが一番心苦しい。お詫びします。できるだけ捌いてアップしたいと思っているが・・・。

筆者(河童)の頭の皿の力水はいささか減ってしまったが、カテーテルの「水」はぐんぐん増えているよ。とまれこうまれ、道面先生、たのんまっせ!(2012/07/19)

 

433『詩のお値段』

このコラムの前号で、詩の原稿料について掉尾でふれた。一篇の詩のお値段はいくらかという、俗っぽい話をしよう。

筆者が第三回現代詩手帖賞の賞として受け取ったものは、思潮社の出版した鮎川信夫、長谷川竜生、吉野弘らの詩集約30冊。定価は一冊800円くらいだったと記憶している。詩の出版社に潤沢な資金があるわけもなく、「自家製品」の詩集をくれた。お金に換算すると2万4千円相当。ちなみに今年度の第五十回現代詩手帖賞の賞金は10万円だそうだ。

筆者がありのまま舎賞の詩部門で受賞したときは一篇の詩で10万円也。また長野文学賞の詩部門賞では、名のある陶芸家の鳥のオブジェと副賞として3万円だったと記憶する。

日本で詩を書いて食っていける人はいるだろうか。谷川俊太郎はただひとり詩で食っていけると詩人と仄聞するが、エッセイや講演など詩以外の収入があってのことというのが専ら巷間の情報だ。氏の一篇の詩の値段がいくらか、筆者には知るよしもない。

日本のみならずフランスのフランス象徴派詩人のヴェルレーヌもランボーも暮らしは困窮をきわめていたようで、むろん詩で食っていたわけではない。

詩でなくて作家、小説家の原稿料はどうか。これはぴんからきりまでで、400字詰め原稿用紙一枚のお値段が1000円から60000円といわれる。1000円はほんの駆け出し、60000円は生存中の文豪ということになる。ちょっと名の知られた作家さんでも3000円くらいという。以上はネットで調べたり、とある編集者に聞いたりした情報だ。

話変わって、筆者が昭和43年(1968年)に思潮社から出版した詩集『器』は定価900円。第三回現代詩手帖賞受賞者という恩典があり、「営業部数」と「著者買取」と半分ずつ負担で発行された。営業ベースは何部売れたのであろうか。

買取の詩集は、詩歌関連の雑誌や五大紙の新聞社の学芸部や日本各地の図書館、詩を書く仲間に贈呈したのであった。

あれから44年、月日は流れ・・・わが詩集『器』が古書店で売っていた。「初版、カバー、献贈署名入、昭43、思潮社、1575円、古書舗フクタ、名古屋市中村区」。

「献贈署名入」とは、詩集の最初のページに贈る友人の名前とその脇に「恵存」と書き、筆者が矢崎義人と自署したもの。詩の友は鳥取にはいたが名古屋にはいず、誰が売りに出したか不明。流れながれて古本屋に渡ったのだろう。「絶滅危惧書」として値上がりしていたのには莞爾と笑ってしまった。(2012/06/03)

 

432『現代詩手帖6月号』

現代詩の公器である思潮社の「現代詩手帖」6月号が発行され、書店の店頭にならんだ。6月号は「現代詩手帖賞の詩人たち」の特集号で、「手帖賞」はこれまでに50回をかぞえ、半世紀にわたる歴史がある。今号は受賞した詩人たちの詩作品とエッセイを一挙掲載するというもの。第三回には筆者、矢崎義人が受賞している。1963年のことである。

(なお「ウィキペディア」の文学部門・現代詩手帖賞一覧の第三回受賞者は山崎義人となっているが間違いで、矢崎義人が正しい。筆者は訂正の方法が分からないのでそのままになっている。余談ながら・・・)

50回といってもジャスト50人ではなく、該当者なしの年があったりダブル受賞(二名)乃至はトリプル受賞(三名)年があったりで、総数は60人くらいであろうか。今号の収載の詩人は44人で、約15人が欠稿ということなる。これら欠稿の詩人たちの消息が気にならぬこともない。

思潮社から現代詩手帖6月号の贈呈をうけて目を通す。第1回から15回までの15年間では6人の詩人の詩編とエッセイが収載され、約10人が欠稿である。50年前とは当時30歳の人なら80歳、35年前なら65歳になるわけだ。じじつ第4回の長谷康雄氏は83歳とある。第5回には沖浦京子氏の名前がみえる。筆者は長谷氏とも沖浦氏とも面識はないが、その当時彼らの詩を読んでいたので懐かしく思い出される。

詩や詩人は青春のイメージであり、今回の44名の受賞者のなかにも大学院生が4人いたり高校生もいたりする。夭折が華である詩人に、70歳や80歳の老いぼれは似つかわしくない。だがしかし、青年時に表現者として詩想に込めた「コア」は筆者をふくめて持ち続けたいと思っているのではないだろうか。

受賞者のなかから金井美恵子氏、伊藤比呂美氏、清水昶氏らが輩出し、詩以外でもエッセイや小説などを雑誌や新聞に書き、清水昶氏は俳句にも造詣を深めた。また矢崎義人は硯水と号して連句の世界に身を転じ、国民文化祭・連句部門等で文部科学大臣賞など大賞を14回受賞した。(「ウィキペディア」風に書けばこんな感じだ)

さて現代詩手帖6月号の特集に出稿した筆者の詩は『比喩の湿原では 詩のゆくえ』という題名で約50行。河童文学館のトップページの「詩」部門から読むことができる。

なお思潮社の編集人から「詩論詩とでも言うべきものかと思いますが、それにとどまらないふくらみがあって、とてもおもしろく読みました」というランニングコメットをもらった。「詩論詩」とは云い得て妙、筆者にとってはありがたい評言だった。

それから蛇足ながら、詩とエッセイに対する原稿料、印税が支払われるという。金額は販売部数と執筆者の人数などによると思われるが、銀行送金するので送金先を知らせよという用紙が入っていた。ありがたや。(2012/05/29)

 

431『ペット税』

イタリアでこのほど「ペット税」法案の撤回が発表された。ロイター通信などによると、この新税案は家庭で飼われている犬や猫など「愛玩動物」の飼い主に税を課すもの。「野良犬、野良猫対策費を捻出するため」として編み出された。

国会の社会福祉委員会で討議される予定だったが、メディアで報じられた途端に「税が払えない飼い主が犬や猫を捨て、かえって野良が増える」などの批判が動物愛護団体などから噴出した。「非現実的だ」「馬鹿げている」などの批判の嵐に、国会の同委員会は法案の審議をとりやめた。議員の一人は「税は人間の分しかかからないということだ」と述べた。(朝日新聞)

日本でも犬や猫に税金をかける「ペット税」が自民党の旧政権下でも民主党の現政権下でも検討され、こんにちも課税の火の元がくすぶりつづけている。ペット税はドイツやスイスやフィンランドなどで犬を中心に課税され、ドイツでは年額12000円といわれる。

ペットとは狭義には愛玩動物を指すので、犬猫だけをとって課税するのは動物という「生物群」に対して不公平の謗りを免れない。動物が自然に近い状態で等しく生きてゆくうえの「生存権」があるとして、動物愛護法をかんがみ、この税の導入には不公平感を感じてならない。

もしも犬猫に課税するならば、たとえば愛玩用のイグアナや噛みつきガメ、九官鳥やエンゼルフィッシュにも課税すべき。またサファリーパークの虎にも手長猿にも樹懶(なまけもの)にも課税すべき。不公平を糺すとはペットと呼称されるものの「生存権」と、飼主(あるいは所有者)のそれぞれ異なった動物のオーナーに対する課税の公平さであろう。

じつは過去に日本に「犬税」はあった。1982年にもあったが、遡れば1687年の徳川綱吉将軍の「生類哀れみの令」で野良犬の捕獲による飼育費等の捻出のため犬にではなく人に課税した。また明治6年には「馬税」1頭3円、明治初期には「うさぎ税」もあった。「馬」の利用価値&公共性、「うさぎ」の肉と毛皮の投機目的の繁殖の抑制と税収に利するがため等々。

さらには「鯨税」もあった。江戸時代には鯨一頭で4000両という莫大な収入になり、一頭で村がたいへん潤った。これに手をこまねている手はないと、肥後&壱岐の平戸藩(現在の長崎県)が税を課した。なお鯨が大暴れて捕鯨に難儀した事案には税が軽減されたという古文書もある。

ペットではないが「独身税」という税も課税寸前にまで持ち挙がったそうだ。税金がいやなら結婚せよ。籍を入れよ。またよその国だが「裸税」も検討され、裸で外出したり劇場でヌードになったりすると税を徴収する。(罰金ではなく容認して税を払わせる)これは実現しなかったらしい。

詩や歌や句は贅沢品だからと、詩人や歌人や俳人に「詩税」「歌税」「句税」を課するという話も勃発した。たとえば俳句の場合は一句あたり350円が課税される・・・

・・・このとき目が覚めた。夢だった。夢だったのは最後の「詩歌税」で、それ以外はむろん真実である。(2012/05/21)

 

430『間違いだらけ・・』

Iph0ne」の送受信の機能が、ちょっと可笑しい。「受信トレイ」「ゴミ箱」「すべてのメール」の三つの機能があるのだが、「すべてのメール」の機能はほぼ正常としても、受信したメールが最初からすべて「ゴミ箱」に入ってしまい、読んだあと削除しないのに廃棄されている。

「すべてのメール」に送受信のメールがあるのはいいが、「ゴミ箱」で読んだメールは翌日でなければ「すべてのメール」に入って来ないのだ。「受信トレイ」は終日閑散として一通も入らない。

「メールが来ているかな」とゴミ箱を漁るのは「おこもさん」(乞食)になってしまったような気分で気がふさぐ。情けない。地元のソフトバンクでは直せず、どこかに送って修理するというのでそのまま使っている。

「現代連句集V」が刊行されて手元にとどいた。ざっと目を通していて見つけたのは、平成13年「連句年鑑」に書いた筆者の評論『連句のコスモロジー・言語と唯識』の作者が矢崎藍になっている。人の名前を間違えるのは編集者の大チョンボ。

筆者は矢崎藍さんと面識はないが、斬新な連句活動に畏敬の念を惜しまない。藍さんもきっと迷惑に思われているだろうと、現代連句集編集部へ訂正方のハガキを投函した。

iph0ne」を機械とは言わないだろうが、機械も人間もよく間違いを起こす。むかしのラジオやテレビは故障した場合、拳骨でとんとんと叩くと直ることが多かった。

日野コンテッサ1300ccは電磁式クラッチで、あるとき突然にギアを前進に入れるとバックし、バックに入れると前進するという、とんでもないことになってしまった。それも険阻な山道の崖っ縁で立往生したのだった。叩くこともできず、「俺は気違い。異常者だからバックで家に帰る」と自分に言い聞かせて帰ってきた。筆者の二十代後半のころのことだ。

人間の間違いはここに書き入れない。だが人間は叩いて直るというものでもなく、体罰やスパルタ教育で行いが直り、学問が身に付いたりするものでもないと思っているので機械より御しがたいだろう。

話が脱線してきたようだ。(2012/05/18)

 

429『言外の言』

俳句や短歌や連句など、いわゆる短詩形の文芸は言葉が厳格に制限される。字余り字足らずも許されるが、みだりに用いると音律が毀れて読み手に砂を噛むような響きを与えてしまう。したがってそれを回避する手法があるのだ。

「ヒマラヤ蹴って雪男身をひるがへす」という夙に有名な俳句がある。上五の「ヒマラヤ蹴って」は七音で字余りだが、これはある種の効果を狙ったものなので触れないが、この俳句の内容を散文的にいえば「ヒマラヤを蹴って雪男は身をひるがへす」となろう。

散文ならぬ俳句の場合は「ヒマラヤを」の「を」と、「雪男は」の「は」という助詞が省略される。こうした助詞を省略する例は短詩形に多くみられ、連句でもむろん例外ではない。

助詞を省いても意味が通じるものは省く。これは日常生活でも見られ、大阪弁にはとりわけ多いといわれるが、短詩形に広く用いられている手法だ。表現された作品の表記には存在しないが、読み手の意識のなかでは「助詞」が使われている。活用している。

「暗に」という言葉がある。はっきり口に出さない。なんとなく匂わす。それとなく言う。それとなく指し示す。などの意味である。日本語は非論理的で曖昧だといわれるが、日本の短詩形の文芸はそれを逆手にとって表現する類例が多いように思われる。

連句の付合では前句と付句のつながりで、意味や印象を「暗に」つなげる、意識のなかでなぞるという類例が多い。手法というべきかもしれない。散文を下敷きにした文脈を活用しているのだ。これは「暗に文脈」乃至は「暗の文脈」と筆者は造語している。

とまれこうまれ、短詩形の作り手と読み手は「言外の言」を書き、それ読み解く作業であろう。(2012/04/30)

 

428『パソコン検索』

知ってはいたが忘却の彼方に押しやられたり、誤って認識してしまっていたり、うろ覚えのことどもがある。耳学問、つまり人から聞きかじったことや、耳から覚えた英語などの表記(発音)が覚束ないこともままある。そんなことはなかなか人に聞けない。

辞書や百科事典を調べるというのが筆者の青年期の慣わしだったが、これはなかなか面倒臭い作業であった。

ところが昨今はどうだ。パソコンで検索すれば即座に正解にありつける。間違ったキーワードを入れて検索しても、「○○ではありませんか?」と質して聞き返してくる。

ヒットした情報は辞書や事典からHPやブログまでという玉石混交ぶりだが、それは受け手のこちらが取捨選択すればよいこと。そうした意味で「ウィキペディア」は重要な情報網であり、その多種多様なこともありがたい。

部厚い百科事典や広辞苑を繙かなくなって久しい。第一に重い書物をかかえると肘や肩が痛くてこたえる。それに先に述べたようにパソコンの検索だ。

嗚呼、世の中変わったなあ、と思うことしきり也。(2012/04/15)

 

427『もしもし談義』

「もしもし」という呼びかけの言葉は、特段おもしろい言葉ではなくありふれたものだ。主として人に呼びかけるときにいう語。電話で相手に呼びかけ、または答える語と『広辞苑』にある。例文として「―、落ちましたよ」。「一、山田です」が収載されている。

江戸時代は幽霊や妖怪が人を呼ぶときは「もし」と一回だけいうと信じられていて、暗闇などで人を呼ぶときは自分が幽霊や妖怪でないことを示すために、「もしもし」と二回重ねることが礼儀になっていた。

電話をかけるとき「もしもし」と二回いうのはその遺産であり、自分は幽霊や妖怪ではありませんよという、下意識が日本人には働いているとされる。

民俗学者の柳田國男著『妖怪談義』には、「佐賀地方の古風な人たちは人を呼ぶときは必ずもしもしと言って、もしとただ一言言うだけでは相手も答えをしなかった」とある。

参議院でのやりとりにこんなことがあった。S議員の質問に対してT防衛大臣が「あっ、もしもしあの(議場失笑)、もしですね。失礼、いや、えっ、もしですね、ちょっと、もし、失礼しました」。

「電話じゃないですよ」の野次がとぶ。

T防衛大臣は「もし」と言おうとして「もしもし」と口から出てしまい、その後は何か何だか意識を失ったように、しどろもどろになってしまったように見える。

先に述べたように「もし」は幽霊や妖怪のいう言葉であり、「もしもし」と二回重ねていうのは幽霊や妖怪でなく人間ですよという証(あかし)だとされる。このT防衛大臣はいったい「なにもの」か、幽霊または妖怪であろうか。

この映像がテレビで流れるたび、何回観ても筆者は笑ってしまう。吉本興業やワハハ本舗での台詞であれば笑えないが、権威のシンボルであると見なされる国会でのテレビ中継なの、これに優る「演芸」はない。いまをときめくお笑い芸人、天然のキャラであろう。日本にこれほどのピン芸人がいたとは!(2012/04/05)

 

426『現代詩手帖賞のこと』

現代詩の公器である現代詩手帖の思潮社から手紙がきた。「現代詩手帖賞」の第50回を記念して「現代詩手帖賞の詩人たち」という作品特集を行うので、詩作品とエッセイを執筆いただきたい旨の文面だった。

「現代詩手帖賞」が50回を迎えたことにまず驚いた。筆者の受賞は1963年の第三回なので49年前になる。書庫から二冊だけある受賞発表時の2月号を取り出してみると、粗末な紙質でしかも黄ばんでおり何とも古めかしい。因みに定価150円。

第三回現代詩手帖賞発表が特集され、選考委員の野間宏、清岡卓行、吉野弘、長谷川竜生の名が載っている。そして誌上参加の長谷川竜生を除く三選考委員と編集部の合評会の記録が紙面のかなりの部分を占めている。選考委員諸氏の投稿者や詩作品に対する丁寧な読み込み、そして厳しくも温かな眼差しがあふれる。

筆者の詩の特質について「着想の生理」というサブタイトルがあり、野間宏氏が「さいしょから引きつづき推していたのは、僕は矢崎さんであったわけです。(中略)今までの詩に出ていなかったようなイメージとか言葉ですね、そういうものがこの人の詩に出てきていると感じたわけなんです」。

吉野弘氏「矢崎さんのばあいには、一篇の詩を作るときに、一篇の詩ぜんたいがアイロニーだという、そういう方法が、ちゃんとあります」。

清岡卓行氏「矢崎さんの詩の表現というのは、いつでもだいたい比喩の世界で表現される。(中略)比喩というものが、詩の表現の中で、それだけでおわるにしても、比喩の世界自体が、歪みというか異変を起して、たとえばアンリ・ミショオのばあいなんかにこれは起るわけですけれども、現実からむしろ完全に遊離しちゃって、比喩の世界それ自体として独立するような、それこそ“詩”としか言いようのないような世界を、比喩が成就するばあいがあると思う。矢崎さんのばあい、それをちょっと感じた」。

受賞第一作の詩と、晴れがましくサイケ調のシャツを着込んだ、ジェームス・ディーンばりの27歳の近影とが誌面を飾っている。これまで手に取って読み返すことがなかった2月号を懐かしく繙いたしだいである。

第50回といえば、受賞が年間一人のときもあり二人のときもあり、のちには半年毎に選んだ年もあったようなので、受賞者は80人くらいだろうか。すでに鬼籍の詩人もいるかもしれない。

思潮社から依頼の、50行までの詩作品とエッセイの寄稿に「諾」の返事をしたためて郵送した。ただいま詩作中也。(2012/03/20)

 

425『上諏訪街道・春の呑みあるき』

3月17日、上諏訪街道「春の呑みあるき」なるイベントが催された。諏訪の造り酒屋5軒(麗人・横笛・真澄・舞姫・本金)が中心になって行われる行事で、金2000円で有資格者となる酒器を買い求め、それぞれの蔵元を歩きまわって日本酒を注いでもらう。

地元の公魚の佃煮や鹿肉の燻製やチーズなどの売店もあり、それを当てに大吟醸や山廃仕込みなどの銘酒を呑みあるく。五軒の蔵元はそれぞれそれほど離れていないので、街並みを眺めながら友人やカップルが日本酒を嗜むというもの。春秋の年二回行われ、きょうは生憎の雨だった。

松本駅発の臨時列車も運行し、午後の2時ごろから傘をさした呑兵衛さん、女の呑兵衛さん(「山ガール」を真似れば「酒ガール」というべきか)、上諏訪駅から醸造元までをぞろぞろと歩いてゆく。当庵のまえの舗道を歩いてゆく。

今年からは人力車も出て、駅頭から会場周辺まで客を運ぶ。(二人乗って2000円。一人乗って1500円)

昨年の秋には外人さんも見かけたが、この日は傘をさしているので見分けられなかった。日頃はシャッター通りで淋しくなってしまったので、羽目を外さない人たちであれば歓迎。筆者など静かに暮らす一介の住人であっても賑わいは嫌いでない。

諏訪は人口5万程度の地方都市であるが、歓楽街と住宅街に分けられる。歓楽街はすでに寂れてしまったが、以前は夜になると三味線の音がひびき、ネオンが点滅、バーや呑み屋、射的場やストリップ劇場など盛んだった。

あえて分ければ当庵は住宅街にして商店街のようなところで、夜になっても酔っ払いの嬌声とは無縁だった。したがってこの度のイベントによって、それらしき雰囲気が醸し出されることに一抹の郷愁を感じてしまうのである。

宵闇せまるころ、がやがやと男声と女声の声が入り混じって舗道をすぎてゆく。「貴方が悪いのよ」とそこだけ大きな女の声がする。色恋沙汰の糸が縺れたのか。酒は本心を覗かせる。演歌だねえ。筆者は「うち酒」で多少は酔っていた。(2012/03/17)

 

424『小鳥たち』

昨年の春以来、わが狭庭では小鳥を見かけることが少なかった。そして庭の隅には、毛の毟れたヒヨドリの死骸や名もわからない鳥の毟れた羽が散見されたものだが、最近ではそれも見かけることがなくなった。

当庵に隣接するNTTビルの鉄塔にトンビが巣をかけ、トンビの親子らしきがヒヨドリなど小鳥たちを殺傷しているのではないかと、鳥類に関して素人ながら考えていた。幸いなことに今年になって、そのトンビもトント見かけなくなった。したがって、ここ三ヵ月ほど小鳥の訪れが多くなってきたのだ。

朝の6時ころ、裏庭のウメモドキの木に二羽のヒヨドリが飛んできて、ピーピィ、ピーピィと鳴きたてる。筆者の起床時間に合わせでもするように。すでに夜が明けているので寝床のなかで首や肩や手指の柔軟体操をし、やおら起き上がるのだ。

午後には前庭のダイスギにシジュウカラが飛んでくる。この鳥は4羽か5羽で訪れることが多い。敏捷な身のこなしで枝移りする。この時季はあまり鳴かないようだが、飛翔のさまを眺めているだけで気分がよくなる。(2012/03/07)

 

423『啓蟄』

 ≪子狐のけんけん跳びや大月夜≫

文机に向かって俳句を捻っていた。上五、中七は作ったが下五が定まらず、あれこれと季語を変えては読み返し、季語を変えては長考していた。筆者の脇には俳句の先生がいたが、誰であったか顔がわからない。ほかに家人も座っていたように記憶している。

「≪大月夜≫で行こう。これでよし」と決心した。決心はしたものの「子狐」が冬の季語で、「大月夜」は秋の季語だから可笑しいでのはないか。「嗚呼、下五をどうしよう」と考えあぐねているうちに目が覚めた。

夢のなかで作句したり、季語がどうのこうのと考えたりした経験は始めてである。夢のなかで作句とは筆者も焼きが廻ったものだ。

きょうは啓蟄。毎年といっていいほどこの日、蝿や蜘蛛や小さな虫を見かけるが今年は目に触れることがなかった。

虫といえば虫偏の言葉はすこぶる多い。虫たちは人類に溶け込んでいる。共存している。いやいや共存などしていず、益虫もいるにはいるが害虫のほうがはるかに多い。大多数が嫌われものだ。女性でありながら「虫愛づる君」はきわめて少数派であろう。

 ≪穴出でし蟻の思ひや浅間山≫

(2012/03/05)

 

422『四季ぶりの御神渡り』

寒中は日本中いずこも寒いが、諏訪地方はとりわけ寒冷である。北海道の極寒といわぬまでも厳しい寒さだ。豪雪は目に見えるのでテレビなどマスメディアにもてはやされるが、極寒は目に見えにくいので隅に追い遣られる。バナナが凍結してバナナで釘が打てる、三面記事ならぬそんな「三行映像」しか流れない。

当地方の2月2日の朝は、氷点下13・9度だった。暖房している室内は17度で、炬燵で手足を温めないとやる気が失せてしまう。心も縮こまってしまう。当庵から直線距離で約40キロ離れた小海線・野辺山高原では氷点下26度という情報を知った。

氷点下26度と聞くと思い出す。1981年2月28日の朝の諏訪地方は氷点下23度だった。観測記録によると氷点下23・1度が最低ということ、氷点下23度は二番目に低いという。

温泉につけて絞った雑巾で長い廊下を拭くが、往路は濡れているが復路はすでに凍っている。手を当てて触れると、手の皮が吸い付いて剥ぎ取られそうな感じ。冷たいという感覚を通り越して何も感じない、逆に何か暖かいという錯覚さえ覚えるのだ。

氷点下10度以下の場合、冷蔵庫は温めるためのものである。室外が天然の冷凍庫であり、食料はカチカチで食卓に出せないので冷蔵庫に入れて温める。適温が5度というビールは外に置けず、冷蔵庫で温めて呑む適温(5度)にして呑む。筆者はこれでも冷た過ぎるので、湯で割って呑んでいた。尤も最近は胃腸がわるいので、ビールはやめて焼酎にしている。閑話休題。

筆者の幼少の砌は、近所の悪餓鬼どもが「連れしょん」をしたもの。道端で並んでしょんべんをするのだが、それが即座に凍結してつらら状になる。その「しょんべん棒」でチャンバラしたり、担いで道草したり。そんな光景はたびたび見かけたものだ。

さてさて、2月4日、いよいよ諏訪湖に御神渡り現象が発生した。御神渡りは八剣神社という神社の宮司によって確認される。この日宮司ほか神社総代など関係者によって、御神渡りが確認された旨がマスメディアにも伝えられた。四季ぶりということだ。

御神渡りは諏訪大社上社の男神が、下社の女の神の元に通った道筋とされ諏訪市側から下諏訪町側へと氷がひひ割れ、その跡が高くせりあがる。拝観式も行われる。神の恋の通い路であり慶賀すべきことと捉えられているが、地元の人間にとっては寒さが身に沁みる現象ではある。(2012/02/05)

 

421『河童昇天?』

1月9日、愛用のファックスが故障した。受信はできるが送信が不能になってしまった。原稿を挟んで送ろうとすると、しゅるしゅると原稿が流れるだけで文面は相手方に届かない。いわば「下痢症状」のようなものだ。シャープ製品で12年酷使したので寿命、仕方がないといえば仕方がないのだが。

筆者の連句仲間はパソコンだけに留まらず、ファックスを用いる連衆さんが数人いる。投句は送信できても返答や経過報告がないので、連衆さんは不審に思ったらしい。

筆者から相手に電話してもファックス専用だったり留守だったり、なかなか連絡がとれない。電話を受ける筆者の電話も留守電設定で埒が明かないと思うのか、あるいは電話をかけて却って迷惑になると思うのか・・・ここで情報は途切れてしまった。

連衆さん同士が連絡をとりあって、筆者が倒れたとか昇天したとか、そんな会話が交わされたとか交わされなかったとか。「河童昇天」の噂はひそかに伝播したことは疑いない。

以前にパソコンが故障したときも、一部に似たような怪情報が飛び交ったものだ。どうやら、河童はいとも簡単に死ぬという先入観を持たれてしまっているようだ。このときは電話が効力を発揮したのだが・・・。

ともあれ「マシン」はトラブってしまうと、うんともすんとも言わず、頑な態度をとるので往生する。生き物は病気や衰弱があって死があるが、マシンはその兆候がある場合もあるが、多くはコテっと死んでしまう。騙し騙し使うテクニックが効かないのだ。

ともあれ16日、インターネットの通販でパナソニック製品「おたっくす」を購入した。姿形は「前機」よりやや小さく、使い勝手も大分進化しているようだ。

「前機」のときは相手の呼び出しコールを3回鳴らさないとエラーになったり、5回鳴らさないと居留守になったり、変なところに神経を使った。五人に送信するのに30分もかかった。

その点「おたっくす」は相手のファックスに有無を言わせず、さっと送信する。原稿の流れも速い。やはり新しいマシンはよい。かくして河童昇天の噂は打ち消され、ファックス&パソコン混交の連句はつづいている。(2012/01/16)

 

420『様式美』

筆者の捌く連句には、連衆さんに対してちょっとした注文がある。歳時記では季語が、時候・天文・地理・行事・生活・動物・植物などに分類されているが、句を付けるにあたって、一個所に天文なら天文がダブらないように振り分ける。(古典の間違った考えを鵜呑みにして、例えば「秋風」と「月」は障らないとか、生活の季語はダブらせても障らないとか言い募る人がいる)

歌仙などは「初折」と「名残の折」とがあり、それぞれの折には「面」がある。例えば初折には、「表6句」「裏12句」の二つの面がある。面の最後を「折端」といい、面の最初を折立という。筆者は「折と面」の連結部分を芝居の幕のように考えたいので、意味のない幕の上げ下げを好まない。連結を活かして付合+αの意味を見出したい。(折や面に思いを込めず、ただ漫然と意味をつなげてゆく作品のなんと多いことか)

カタカナ語は二句連続が好ましく、ランダムに詠み込まれたり、打越したり(大打越)することを避ける。英字はカタカナ語に準ずるものとする。

体言止めと用言止めとはバランスよく配置する。両方とも四句くらい連続してもよいが、一句置きのような作為的な措き方はよろしくない。

字余り字足らずは原則的には禁止。連句は韻文の範疇でももっともリズムを重んずるもの。字数の制約により創造がそがれるデメリットはあるにしても。

さきに「ちょっとした注文」と書いたが、あれこれと考えることは多々ある。連句という文芸は情景や感情や意味を伝える以外に、連句の「様式」の美しさを伝えるもの。ざっくりいうなら「様式美」を媒体として読み手に感動を与えるものだと思う。

季語や用語の措辞、平仮名や片仮名の措き方、語感や語音。懐紙や字面(じづら)の視覚的な訴えなど。内容もさることながら、連句はそれを賞玩するための文芸だろう。

連句とは「言語による詩の南京玉すだれ」というのが筆者の信条だが、もう一つ懐かしい芸能・興行で譬えるなら、連句の付け運びとは「意識と下意識を手放しで飛ぶ空中ブランコ」だ。

筆者捌きの付け運びが離れ過ぎて、疎句でわからないという人がいるが言葉を深く探ってもらえば理解できるはずだ。そしてこの小文など読んでくだされば・・・。(2011/12/30)

 

419『一座と文音』

連句作品の制作現場は「一座」と「文音」とに大別される。一座の作品は俳席をもうけてその場所に集合し、捌と連衆とで巻きあげるもの。一方で文音の作品は、パソコンやケータイやファックスなどの通信手段を使って巻きあげるもので、この方法でも捌と連衆というスタイルは一座と同様の場合が多い。

2011年の「国民文化祭・京都」の入賞と入選を収載した作品集を調べると、一座が63巻で文音が74巻、一座の途中から文音で巻いたものが6巻だった。

因みに今年の連句年鑑、国民文化祭京都、俵口大会、浪速の芭蕉祭、芭蕉翁顕彰大会、さきたま大会など主だった大会の応募合計は約1200巻余になる。

このほかグループで巻いて応募水準に満たずに没となったもの、グループの冊子に掲載したもの、さらに大会の実作会やグループの習作など掌握できないものを含めると、相当の数に上るだろう。

恐らく年間3000巻以上を数えるだろう連句作品、それが一座か文音かは4対6乃至は3対7くらいの割合で文音が勝るのではと推測される。

連句の挨拶性や即興性から一座でなければ連句でない、大会の募集から文音は外すべきだと、少数派ながら主張する人がいる。この主張はたとえば、江戸時代の連句制作現場と現代の制作現場のおかれている状況を理解できていない。早馬や飛脚を飛ばすしかなかった時代と、インターネット「光」で瞬時に伝わり現代との通信手段の認識がいちじるしく欠落している。

「文音」はそもそも手紙などから発生したが、現在ではインターネット中心にさまざまな手法があり、これらを文音の呼称で括っている。こうしたスピードと利便さの機能を無視して将来の連句はなく、もっともっと活用すべきだ。

連句協会の会員は現在900余り。15年まえは1000余りだったので、ジリ貧ということになる。協会の役員や幹部は努力されているようだが、会員増強、連句普及という点では空振りに終わっている。その一因に制作現場の旧来のスタイルである一座と即興に固執した考え、現代の制作現場である文音のスタイルを軽視してするところにもありはせぬか。

一座や即興をむろん否定するものではないが、新しい文音から新しい「連句詩」の進化がみられるかもしれない。(2011/12/22)

 

418『連句の挨拶』

連句の「発句&脇」の挨拶について、ときどき話題になる。「客発句、亭主脇」、つまり客人が発句を詠み、それに応えて亭主が脇を詠むというスタイルが古来よりある。

古典として残っている作品の多くは、俳人(俳諧の宗匠)が名勝地に旅しながら、その土地の俳人と一座して興行するため挨拶が重んじられてきた。そうしたかたちが主流になっていた。それは当時として当然だったろうと思う。

現代の連句制作の現場はどうだろうか。

同じ考えをもつ流派のもとで連句を巻く。また流派を超えて仲良したちが座を設け、酒食をともにしながら談笑しながら巻く。さらには親しい仲間同士が各地の連句大会に応募するために巻くこともある。

あるいはHPやブログやフェースブックやケータイなどの通信手段を用い、同好者が集まって巻くという例もある。名前はともかく顔さえ知らない同士もいるようだ。

江戸時代と平成の世における連句制作の現場を想像するに、おどろくばかりの隔世の感を禁じえない。ここ三百年くらいで雲泥の差異をみせる。通信手段一つとっても世界をつなぐ媒体一つとっても・・・。

古来の挨拶である「客発句、亭主脇」のスタイルは流派や仲間内では現在も行われている。また国文祭など各地持ちまわりで開催される連句大会では、開催地挨拶として当該地ゆかりの題材を詠みこむことが多い。これも一種の挨拶で、それはそれでよろしい。

ただし一個所で十数年にわたって毎年開催される大会では、開催地への挨拶はかなり省略されている。そのような傾向が見てとれる。

本来的な「客発句、亭主脇」なる「挨拶」に拘泥しすぎると、連句という文芸が「私的」になってしまうのではないか。現代の制作現場から発するものは「公的」でなくてはならず、文芸の高みをめざすものでなくてはならない。本来、文台引き下ろせば反故のようなものは碌なものではないだろう。(これは即興性を逆説的に強調したものだが)

「客発句、亭主脇」について古典を引きずって、一つ覚えで言い募る選者がいるが、「挨拶」という連句概念は「発句&脇」の付合の呼応にこそいうものと思う。時代とともに既にそのように、現代連句は変化してきているだろう。(2011/12/05)

 

417『ここ旬日』

「大佐」と「主筆」と・・・。大佐は将校の階級の一つで、少将の下で佐官の最上位である。いっぽう主筆は、新聞社や雑誌社などで記者の首位にあって主要な記事や論説などを担当する者をいう。どちらもそれなりに力量の求められる立場の者だが、将軍とか社長とか、そうしたクラスよりはグッと下位に位置する。

だが、将軍乃至は社長クラスよりも強力な権力をにぎり、独裁的な立ち位置にありながら「大佐」、「主筆」と敢えて自称・公称したがるのはなぜだろう。ガタフィ大佐と渡邉恒雄主筆のことだ。

ガタフィは殺され血まみれになって世を去ったが、ナベツネは生き永らえて権力の座にしがみついている。生死を異にする両者だが、大佐と主筆という呼称に拘泥した点に共通項がありはせぬか。

アメリカンドリーム的な成功の独裁の成り上がりの裏返しの僻み、性情と育ちの悪さがひそんでいるように見えまいか。

ブータンのナムゲル・ワンチュク国王と、ジェツン・ベマ王妃が日本を訪れた。31歳と21歳で新婚という。ブータン民族衣装や和服や洋装などで宮中晩餐会や福島や京都など六日間にわたって訪問し、その様子がテレビ放映された。

国賓として世界の国王を迎えることは度度あるが、このような素朴で人間味あふれる優しい国王と王妃を観たことはない。テレビを通してだけだが、それが伝わってほのぼのとした温かい気持ちになってくる。演出もむろんあるだろうが、演出でない「素」の部分が見えてしまうことがある。テレビは(画面は)いくら頑張っても「嘘」をつけないところがあるもの。

話は変わるが、皇室がブータン国王夫妻の人間性に触発され、フクシマの「ガレキ」を受け入れ、皇居の二重橋の脇に埋めたいという提案を政府に示したという。そして皇后陛下、皇太子妃殿下など皇室女性陣の公務の折の御車の窓からの「投げキッス」も許されるよう内規の見直しなど皇室改革を進めるらしい。

それでこそ「人間天皇」、世界二番目の幸福国家を手にすることが出来るかもしれない。と、思ったとき夢から覚めた。

しかし未だ魘されていた。「ブー()タン、ワン()チュク。幸せをくだされ。幸せをくだされ!」(2011/11/21)

 

416『わが風邪』

10月24日から風邪を引いてしまった。家人が「こんこん」やっていて、筆者も付き合うことになるだろうなと覚悟していた。「大奥」から「将軍の間」までそれほど距離があるわけもなく、「黴菌」をブロックするすべはない。だから、そらきた!という感じで受け止めたのだった。

熱は37・3から37・7程度で驚くものではないが、こんこんと咳が物凄い。機関銃のように咳き込んで息継ぎができない。喉を笛のように鳴らして息を吸う。また鼻汁が垂れ流しとなる。いくら鼻をかんでも切れ目もなく、マスクが使えないありさま。市販の風邪薬を服用して二・三日経過をみる。

首が痛くなる。左耳が痛くなる。首は上下左右、ほんの僅かしか動かず。首を動かさずとも耳の周辺がぴりぴりと痛む。思わず声を挙げてしまう。こりゃあだめだ。

整骨師に往診をたのむ。鍼灸を首や肩に施す。首は寝違え、左耳は神経という見立てだった。三日置きに都合三回往診してもらった。治療後は多少痛みが遠のいたが、あまり効果はなかった。

ホームドクター(内科医)にも往診を依頼した。はじめ若いインターン。そして次の日は主治医の先生。首と耳は風邪からきたものだという見立て。注射と投薬。

首と耳の激痛には閉口した。頭が支えられず、起きていても臥せっていても首が痛む。文机の上のPCを立ち上げても10分と続かず、疲れて横臥しても痛くて休まらない。そんな日が10余日つづく。

食料品が底をついたので、車を運転して買出しにゆくことに。運転席で正面をみすえ、首が廻らないので助手席の家人に左右確認をさせた。ともあれ事無く目的は果たせたのであったが・・・。

こんな種類の風邪は引いた記憶がない。質の悪い風邪だ。咳き込んで息ができないときは窒息死するかと思った。熱が低いせいか食欲は普段通り。ただし、むろん、晩酌は一滴も呑まなかった。呑む気も起きなかった。

咳が止み鼻汁も少なくなり、首や耳の痛みも薄れてきたのは11月12日。この日は久し振りに温泉に浸かり、晩酌も少しだけいただいた。もっとも晩酌は、あくまでも痛みというストレス解消のための「投薬」である。

咳き込むとギンちゃんが筆者の顔に近付き、不思議そうに心配そうに覗きこんだ。人間の風邪が猫に伝染するか、伝染しないか知らないが、ギンちゃんに息が掛からないようにしていた。ギンちゃんは筆者が常とは違っていることを明らかに知っているようだった。筆者が「病気」であることを知っているようで、傍らで添い寝してくれた。筆者はキャットパワーをもらったのだった。(2011/11/13)

 

415『庭師さん』

依頼してあった庭師さんが愚庵を訪れた。職人さんの朝は早く、カーテンを閉めてテレビを観ながら朝刊を読んでいると、前庭のあたりでがさがさと音がする。ぱちぱちと音がする。インターフォンを鳴らすこともせず、剪定鋏を使って脚立に上って、すでに庭木の剪定をはじめていた。

庭師さんは85%以上の確率でおしゃべり好きだ。逆に考えて、むっつり寡黙の庭師さんなんぞは怖いし気味がわるい。鋏や鋸を手にする職業柄、おしゃべりな好人物でないと安心できない。そして庭師さんはおやつが好き、おやつの時間が好き。10時と3時の都合二回、これも高い確率で甘い物を好むようである。

ヨワイ78歳、白髪ながら頭の毛は多く、大学出で絵画に興味があって絵筆も執っていたという。その他の履歴は話さない。謎として訊かない方がいいような気もする。

津波や原発や放射能のこと。先がないから「セシウム食品」でも平気で食べるよ。昨今の政治家や若者はなっとらん。やったことは問題あっても全学連はいい奴らだ。日本中がみんな腑抜けになってしまった。胡桃餅の菓子と自家製の牡丹餅とコーヒー2杯、〆はナイヤガラ葡萄・・・今年は紅葉が遅れているなあ。

ところで「土瓶割(どびんわり)」って知っていますか?と筆者が訊ねる。「土瓶が割れたってこと?」と庭師さん。土瓶割は庭木などに巣食う虫の名前で、尺取虫のこと。杖突虫、計り虫、枝虫ともいい、俳句の季語なのさ。庭師さんやお百姓さんが小枝だと思って土瓶を掛けたら、それは実は尺取虫で、土瓶は落ちて割れてしまった。ほー、ほー、その虫はよく見かけるな。土瓶は掛けないが剪定鋏で切ったことはあるな。

兵庫、富山、愛知、岡山などから生まれた言葉で、岐阜では「めんば掛け」というそうです。「めんぱ」は弁当箱のことですよね。弁当箱を支える虫は相当な力持ちですね。でも土瓶は重いから無理でしょう。割った責任は虫にではなく、枝と虫とを間違えた人間にあると思いませんか。ほー、ほー、それが俳句ですか?

秋の日は釣瓶落とし、さ、もう一仕事!

台杉も白樫も隠れ蓑も、隠れるすべもなく、さっぱりした。(2011/10/12)

 

414『特殊な連句たち』

「俳席B」という掲示板を使って、スワンスワン形式で「二字尻取」なる連句を巻いている。一般の連句の付句のように長句と短句を交互につけてゆくのだが、付句の結句の語尾の二字(二音)を、次の付句の語頭に詠み込むことを必須とする。

たとえば、「水引の花咲き侏儒の華燭なり」と結句の語尾が「なり」と詠まれれば、次の句は「なり」を語頭に詠み込む。すなわち「鳴り物入りできちきちの舞」。次は「まい」を語頭に詠み込んで「マイク手に月の名所を案内して」というように。

そもそも連句は約束事が多く、それも一因で普及しないともいわれるなか、なんでストイックなまでに自由な発想を束縛するのかと思う人が多かろう。このほか沓冠作品(長句は頭に、短句は尾に発句の音を一字ずつ入れてゆく)や、酒恋尽くし、妖怪尽くし、動物尽くしなど素材を限定して詠み込む特殊連句もあるが、それはなぜだろうか。

知られるように、連句には一巻を通してのストーリーはなく、唯一のつながりは前句、打越、大打越、そして前句につける付句だけがストーリーと見なせる「筋立て」といえようか。ここで敢えて「筋立て」という言葉を使ったが、筋立ては連句の付け運びの一つの方法であって、連句にとって優先されるのは付句の意味よりも言葉のイメージや言葉のもつ響きであろう。「匂い・移り・響き・位」は意味よりも、より言葉にかかるように思われる。

やや話がそれたが、「特殊連句」は限定され拘束されたところから発想される。言葉が自由自在に使えず、「幽閉された頭脳」からの発信となるのである部面では偏狭し、ある部面では逸脱してしまう。それは取りも直さず常識とか概念とかの破壊、巧まぬ創造の芽が芽吹くこととなる。作者の意識を越えた、人智の及ばないところでの「作句」といえようか。

特殊連句のおもしろさは意表外なところ、イメージの思わぬ跳躍というところかもしらない。

大袈裟に書いてしまったが、「言魂」という言葉があるように、言葉は使った人間を離れて「言」の「魂」としてパフォーマンスを見せるように思われる。(2011/09/28)

 

413『さるまた』

「猿股(さるまた)」のことを書くけれど、読む?他人の男の猿股の話なんぞ興味なかろうし、女だって興味がないだろうし・・・。えっ、訊きたいって?それじゃ、書こう。

筆者、ひょんなことから、猿股を入手すべくインターネットを検索すると・・・「猿股」の名称では市販品としてほとんどヒットしない。そもそも猿股という言葉は死()に瀕していることに気付かされた。尤も筆者自身、この小文で猿股と称しているが、日常生活では「パンツ」と言っている。

当然ながら本来、猿股とパンツは違う。猿股は男子が用いる腰や股をおおう短いモモヒキであり、パンツは腰や股をじかに被うもの、穿くものである。というのが、筆者そもそもの認識であった。ところが猿股もパンツも用語と現品とが錯綜し混同してしまい、これまで生活のなかで使われてきた。(筆者年代の多くの人がそうだったのかもしれない)。猿股の語は廃れ、パンツの語はズボンのことをいうように取って代わった、のが現代である。

筆者の幼少のみぎり、親父は「越中褌(えっちゅうふんどし)」をしていた。越中褌は細川越中守忠興がはじめたからというが、長さ1メートルほどの小幅の布に紐をつけたもの。また「六尺褌」は晒木綿を六尺用いて作る男の下帯のことで、この現物はお目にかかったことがない。

くだんのネット検索では、「ブリーフ」「トランクス」「ボクサーパンツ」「Tバック」「Yバック」「ジョックストラップ」etc。それらの写真もアップされていた。筆者の思い浮かべる「猿股イメージ」はおどろくほどの変化をみせた。ここ数十年のなんたる変遷であろうか。猿股が大いなる変遷を遂げても、男性一物はいっこうに進化していないらしが。

大きすぎず、ゆったりしていて、柔らかな肌触りの生地で、天がゴム編みでなく、取替えできるゴム紐であること。そんなパンツは数十年かけて嫌われ、絶滅危惧種になってしまった。その原因は購買者が多くの場合、使用者でない女性だからと勘繰る。ほどよく見せたい立派に見せたいという「局外者」の勘違いのせいかもしれん。

さて、筆者の言いたかったのは、なんだっけ?そうだ「さるまた」だった。「パンツのゴム紐」だった。お腹のあたり、きつからず緩からず、ずり下がらず、こすれて痒くもならず・・・これは連句の付け運びである。前句にきつくなく、それでいて付いている。

さてさて、「ふんどし」の季語があることをご存じだろうか。「ふぐり落し」といって「厄落」の季語の傍題にあり、厄年に厄払いのため「ふんどし」を辻などにわざと落としてゆく。男42歳、女33歳の大厄を中心に行われた。女性もはらりと、落としたのであろう。

因みに「さるまた」は「ももひき」とシノニム。順徳院が聞いたら恐らく嘲笑する、こんな戯れ歌(狂歌)を読んだことがある。「ももしきや古き軒端のしのぶにもなお余りある一物のあり」。(2011/09/17)

 

412『忌み言葉』

「忌み言葉」とは、言葉をタブーな意味などによる区分けをして、それを避けようとする言葉をいう。忌み慎んでいわない言葉、それを口にすることを良しとしない言葉のことである。宗教上の理由、または不吉な意味を連想させる発音によって、使うのを嫌う言葉のことをいう。

たとえば斎宮での「仏」「経」「僧」や、婚礼のときの「去る」「帰る」「切れる」や、正月三が日の「坊主」「箒」などがそれ。

けがれ、不吉などの忌み言葉は、斎宮や婚礼のとき、さらに一般の冠婚葬祭だけにとどまらず、日常のあらゆる状況において使わないように配慮してきた。そのため、言い換えた言葉を使うように心がけてもきた。

葬式の席の会話では、死ぬことを「亡くなる」「身まかる」といったり、醤油(しょうゆ)の「し」は「死」を連想させるから「むらさき」といい、塩も同様理由で「浪の花」といったりする。

便所を「憚り」といい、鏡割りを「鏡開き」、刺身を「お造り」と言い換えるのも、それぞれの状況での人間感情の機微をおもんばかる、いうなればTPOに応じて、仲間や周辺の人たちへの心遣いがされるのである。また言い換え言葉を発する当人にとってもプラス志向を得られるだろう。

そのほかにも、受験生やその家族に「落ちる」「すべる」、新築祝いに呼ばれて「傾く」「焼ける」、お見舞いにシクラメンの鉢は「死苦」だから禁忌etc。

俳句の季語である梨の実は「なし」が「無し」に通ずるので「有の実」と言い換え、豆腐の「腐」は汚らしいイメージなので「豆富」と当て字する。競馬やパチンコなど賭け事の好きな人への気遣いでは、スルメに言い換えて「アタリメ」、スリッパには「当たリッパ」といったりする。

忌み言葉は忌むべきものを避ける、縁起をかつぐという意味もあり、周辺への気遣いがメインになっている。日本人にはそうした思いやり、日本語にはそうした曖昧さ多義さが備わっていよう。もっとも昨今は大方忘れられてしまったが・・・。

「死の町」「放射能をすりつけちゃうぞ」と失言し、大臣が辞職した。第三者的に状況説明をするとき「死の町、ゴーストタウンのような有り様だ」という表現は許されるが、東電や自民党や公明党ほどではないにしても、政権下の大臣という多少なりとも死の町の原因(原発・放射能散布)の当事者が、被災した町()にいうのは許されない。ここでは「死」は忌み言葉なのだ。

「放射能をつけちゃうぞ」は、放射能は日本中に撒き散らされ、風評被害をふくめて大変危険なものだというマイナスパンフレット。この大臣はそんな喧伝の宣伝マンになったしまった。これは、ひょっとして、ひょっとしなくても真実かもしれない。真実であっても、これもまた忌み言葉だろう。

言葉はなにより、TPOにそって発せられるべき。(2011/09/10)

 

411『どぜう』

泥鰌(どじょう)がスポットライトを浴びている。泥鰌はコイ目ドジョウ科の淡水魚で体は円柱状に細長く、最大20センチくらいまで成長する。口ひげは五対あり尾は側篇である。小川や田んぼに棲息し、主として夏に活動し、冬は泥中に潜って過ごす。

泥鰌に関する言葉では、「泥鰌の地団太」があり、自分の力が弱いことを知らなくて強敵に反抗すること。はかない抵抗のたとえ。「泥鰌ひげ」は、まばらで薄い口ひげ。その髭を生やした人をいう。「泥鰌隠元」は隠元豆の一種で、食用とする若い莢が泥鰌に似ていることから。関東地方での呼称。

泥鰌は古称で「どぜう」とも称するが、泥土から生まれる「土生」からとも、「どじょう」という四文字を嫌ったという説もある。

泥鰌の食べ方は柳川鍋や蒲焼きがあるが、これを営業とする店は寿司などに比べて極端に少ない。食べ物として必ずしも万人向きでないのかもしれないが、蛋白質や脂肪、カルシウムやビタミンAを多く含むので、田舎では結構食べられてきた。

――大きめの鍋に醤油と味醂と、少少の砂糖を加えて煮立ち、泥抜きした生きたままの泥鰌を放り込んで木蓋をかぶせる。「釜茹で」状態の泥鰌は気が狂ったように飛び跳ねて木蓋をたたくが、間なしに観念する。

魚や肉など生物の嫌いな母がどうしたわけか泥鰌だけは食し、筆者の少年期の頃はときどき泥鰌を食わせてくれた。泥鰌のたたく木蓋の音は当時も聴きたくない音で、現在も思い出したく音だが、卵とじした泥鰌は旨かったと味蕾が記憶している。

泥鰌の別称「おどりこ」は、ひょっとして「今わの際」の悶絶の姿をいうのかもしれぬ。語源を確かめたわけではないが・・・。

泥鰌は「泥鰌汁」「泥鰌鍋」「柳川鍋」など夏の季語だが、他方で「泥鰌掘」は冬の季語である。

・更くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁  龍之介

夜も更けて泥鰌汁を食ったのだろう。「上澄み」ならぬ、泥鰌の脂肪分や調味料などで汁の上の部分に「ぬるみ」が出ていた。「ぬるみ」とは冷えて温いのではなく、味の淀み(旨味)を指しているのかもしれない。夜分とぬるみの融合、暗さと舌の感覚のつながり、龍之介一流の神経の冴えが仄みえる。

安来節の「泥鰌掬い」にも触れたかったが、ここでは割愛する。(2011/09/02)

 

410『五分の魂』

日中の残暑はなかなか厳しいが、朝夕は涼風が立ち、狭庭の草叢から虫の音が聴こえてくる。夜間にふと目覚めても、こおろぎの鳴き声が間断なくつづいている。秋だなあ、と思う。

「『鳥毛虫の、心深きさまをしたるこそ、心にくけれ』とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ」。

以上は、『堤納言物語』に入っている短編小説『虫めづる姫君』からの抜粋だ。

そのかみ「虫オタク」の姫君が語るに・・・毛虫の「心深きさまをしたるこそ、心にくけれ」は、毛虫の何かを考えていそうな貌には、わたし、すごく惹かれるの。耳朶のあたりに当てたり、手の裏に這わせたり、ころがすようにして可愛がっているのよ・・・てな、口語訳が成り立つだろう。

話は変わるが、兵庫県の連句の友から次のような便りがよせられた。「虫めづる媼よろしく、庭木の枝葉に宿るサナギが揚羽蝶に羽化してほしいと、夫君にもそっと内緒で、観察してゐますの。小雀に食べられはせぬかと、心配でなりませぬ」と。年齢に老若はあれど、虫愛づる気持ちに時代はないようだ。

虫を可愛がる、虫と仲良くするといえば、筆者は「回虫」のことを思いだす。敗戦後しばらくの間、日本人の多くが回虫感染していた。回虫はメスだと人の小腸で最長30センチくらいまで成長するといわれ、これが内臓の奥深くを緩慢にのたうち廻る。

嘘のような本当の話だが、マッカーサー元帥は回虫が大嫌いでGHQを通じて駆除作戦が行われた。排虫率100%に近いマクニンSという虫下しが、学童たちに配られた。この薬の効果は覿面、学童はお尻から引っ張り出した回虫の死骸を学校に持っていき、回虫の数や長さによって鉛筆や消しゴムを褒美としてもらった。

寄生虫には花粉症などのアレルギー症状を抑制する作用があると、寄生虫学者で東京医科歯科大名誉教授の藤田舷一郎さんはいう。そして「回虫は数が少なければ、本来、人とゆるやかに共生している。飽食の時代なら、おなかに数匹住み着いていたほうが逆にいいのかもしれません」と。

藤田さんは自説を証明するためサナダムシを自分のおなかで10年間育て、10メートル近くに成長する虫と「同棲」し、その間は不思議に孤独感に襲われることがなかった。サナダムシの寿命は2年余で、絶命すると、なぜか心に物悲しいむなしさがよぎったという。参考資料「朝日新聞」(2011/08/20)

 

409『天狗俳諧』

天狗俳諧というものがある。天狗俳諧は、「句の上五・中七・下五を三人が互いに無関係に作り、のち、それを継ぎ合わせて、偶然に句意が通ったり滑稽な句ができたりするのを楽しむもの」と辞書に載っている。俳諧とは俳句のことをいう。

このたび天狗俳諧を、筆者のHP内の掲示板「ウェブ俳席A」「ウェブ俳席B」とで都合八回こころみた。最初は自由投句、のちには「幼児語」「幼児語&べらんめえ語」「幽ちゃん&恋ちゃん」(幽霊や恋愛を詠み込むもの)など課題句を募った。

参加者は六名ほどで固定していたが、回数をかさねるにしたがって、作句の仕方、用語の措き方など皆さんが工夫するようになった。出来上がったものの一部を紹介する。

「亭主留守」「愛し愛され」「怨み節」

  もくれん   うみ    さとし
「指からめ」「骨までいとし」「好きやねん」
  衣谷    ディジー      河童

「嬶めかし」「旦那騙して」「あかんべい」
   うみ    もくれん    さとし

「小坊主は」「貧乏神と」「社寺めぐり」
  河童   ディジー     衣谷

「夢覚めて」「素足で歩く」「へそ曲がり」
  ディジー    衣谷     河童

「幼な妻」「座れば牡丹」「鎌鼬」
  ディジー  河童   衣谷

 「」内の上五・中七・下五が投句。下がその作者名。

思いがけなく句意が通ったり、ちんぷんかんぷんだったり、微妙にずれていたり・・・それを楽しむのが天狗俳諧。

他愛がないといえば他愛がない。大の大人が夢中になって遣るものかと、門外漢は思うかもしれない。だが、これを眺めていると、句の内容や語意もさることながら、主語や述語の働き、弖爾乎波ひとつで世界がひっくり返るような日本語の曖昧さや面白さなどが垣間見え、言葉は生き物だと思わずにはいられない。

天狗俳諧の語源は知らない。何が天狗なのかはわからない。衣谷さんから「江戸期なので「天狗俳諧」と名づけられたのでしょうが、今ならさしずめ「スロットルマシン575」という感じでしょうか」というメールをいただいた。この名、おしゃれですね。

子どもの遊びや、中学校や高等学校の授業でこれをやるようになれば・・・「まじ」や「やばい」だけでなく、もう些と語彙が豊かになるかもしれない。(2011/08/05)

 

408『さくらはさくら』

「笑い屋」という仕事人がいる。宴会で上司がジョークをとばすと、大しておもしろくもないのに大袈裟に笑いこける。テレビの演芸公開番組などで一般入場者にまじって入場し、呵呵大笑して盛り上げる。付和雷同ではないが、人間は周囲が笑うと釣られて笑う習性がある。上司の「よいしょ」は胡麻摺りだが、公開番組の誘惑ならぬ「誘笑」はバイトで雇われた仕事人らしい。

「泣き屋」という仕事人もいる。これは中国の話だが、人が死ぬと頼まれて葬式の席に加わって慨嘆にくれてみせ、故人の徳を口走りつつ大声で号泣する。オーバーアクションであればあるほど、立派な葬式になる。むろん泣き屋と故人とは縁もゆかりもなく、泣き料はしっかり支払われる。

「祝い屋」という仕事人もいる。これは日本の話だが、良家とそうでない家との不釣合いの華燭の典のとき、親戚・友人の数や顔ぶれのバランスがすこぶる悪くなりがち。たとえば嫁側は出席者が多く社長や医者などが目白押しなのに、聟側は親戚や友人がろくにいない場合など。

そうした類の人材派遣会社に依頼し、聟側の空席を埋めるために列席してもらう。「偽者」にもプライスがあって、なみの会社員やOLから学者や作家などインテリ層まで。年齢や顔立ちやそれらしい身なりや装身具などを条件に、一万五千円のサービスプライスから数万円クラスの(付け髭やブランドスーツ着用など)オプションプライスまで相場に幅があるといわれる。

「笑い屋」「泣き屋」「祝い屋」と書いてきたが、これらをざっくり、ひっくるめて「さくら」と呼称することができよう。

「さくら」とは、「ただで見る意。芝居で、役者に声を掛けるよう頼まれた無料の見物人。転じて露天商などで、業者と通謀し、客のふりをして他の客の購買心をそそる者。また、まわし者の意」と 『広辞苑 』にある。

いわゆる「さくら」は、人間心理や欲望や虚栄の間隙を突いた古来よりつづく「文化」遺産であるが、人間が進化してもこればかりは変わることなく続くだろう。ただしダーティーな「文化」であることには変わりはない。

さて、こたびの組織がらみと報道される九州電力の、原発再開に向けて後押しする、子会社社員を「まわし者」にした「さくら」にはただただ呆れ返る。このダーティーな「文化」が現代に通用すると思っている神経に呆れ返るのだ。時代の厳しい風潮がまったく読めていない。

それにしても、電力会社にとって原発はドル箱なのだなと思わずにはいられない。「電力を作るにゃ、原発は楽なことは楽さ。なんたって『楽さは楽さ』」。(2011/07/05)

 

407『こんなときに』

「菅おろし」が引きも切らさず続いている。対する菅総理は「めどがつくまで責任を果たす」と、やりかけた仕事を全うすべく頑張る姿勢をみせている。

政権に恋恋としているのだろうか。はたまた責任感が人一倍強いのだろうか。歴代の総理が任期半ばで投げ出すなか、この粘り腰は捨てたものでないというべきか、果たしてどうか。

「3:11」時点での総理大臣は菅直人である。震災復興や放射能除去への対応は一見「未だし」の感を抱かせるが、数百年来ともいわれる未曾有の大津波や、原発の水素爆発やメルトダウンは人類史に例を見ないもので、誰の目にも万全の対応など望むべくもない問題である、残念ながら・・・。

不信任案まで突きつけられながら何とか否決、総理として当然の責務に対して、これほどまでに強い意志をもって立ち向かう菅総理をなぜ、与野党やマスメディアが引きずり下ろそうとしているのだろうか。筆者はその理由が訊きたいし、次の総理に交代すればこうなるという展望を示して欲しいものだ。

こんなときに権力闘争か。民主、共産、自民、公明・・・デモクラシーや政党などどうでもよろしい。政治家は国民を見、国民と向き合うべきである。

政党や政治家は自分勝手のことしか言わないのでさて置くが、マスメディアがこの頃なにか可笑しい。以前から可笑しかったことは可笑しかったのだが。

とくにテレビ番組のコメンテーターは、庶民の不平不満に付和雷同して言い募ることで自分の立ち位置を確保しようとする。世の中は「不平分子」「不満分子」が大多数なので、仕入れた業界用語をちりばめ、ターゲットをこき下ろすことが仕事だと思っている。テレビ出演し「営業」しようとしている。

そもそもコメントとは批判否定がもてはやされ、賛成肯定は大向こうの喝采を浴びない。批判が力量のあるコメンテーターと思われ、錯覚せられる。そして洞察力のない想像力のない民衆を煽り誘導し、結果的に正当でない世論づくりに加担しているのである。

間違いなく来年のいまごろ、与野党とマスメディアによって、未だ見ぬ「内閣総理大臣○○」の「○○おろし」が勃発していることだろう。

・・・無数の車や船を突き飛ばし町や家を呑み込んだ真っ黒な大津波や、建屋を吹っ飛ばして爆発した原発・放射能を正しく視ることはむつかしい。人類史に残るような出来事であっても、政治家はおろか庶民もなかなか本質を「直視」する力が持てない。(2011/06/22)

 

406『日誌』

国道に面した河童寓の軒端に、脚長蜂が巣をつくりはじめたのは一週間ほどまえ。脚長蜂はたった一匹で巣の材料を運んでいるので、作業は遅遅として進まない。10ミリくらいの灰色の塊のようなものが出来てきたが、脚長蜂がぶら下がると取れてしまいそうなちゃちなもの。

家人は大きくなって蜂が何匹も出入りするようになると大変だと言って、「破壊活動」のチャンスを狙っている。ときどき玄関を出て軒端を仰ぐ。ところが脚長蜂は小さな塊にしがみついていて、ほとんど常時在宅。「突撃棒」の出番はなかなか訪れない。

それはきのうのこと。チャンス到来。家人は勇んで突撃のための棒きれを持ち出し、無人の巣に一撃を加えた。巣はあっけなく落ち、風に吹かれてころがった。

しばらくすると、建築資材の調達に出ていた蜂が材料を銜えてもどってきた。が、建築途中の家がない。ぶんぶんぶんと周辺を旋回し、近くの庭木に休んでまた、ぶんぶんぶん。「どうしたことか?家がない?」と慨嘆している。

脚長さんは一人暮らしで、終の栖を建てようと頑張っていたのではなかろうか。老い蜂があわれなら、破壊した老いもあわれ。眺める俺イもあわれ。

一文字せせり。「せせり」は、手偏に弄、そして蝶と漢字二文字を書く。セセリチョウ科の蝶のことで、『広辞苑』には開張約3・5センチメートルとあり、胴が大きく外見は蛾に似る、とある。

この蝶がときどき狭庭に飛んでくる。3・5センチメートルはなさそうで、セセリチョウ科の「別せせり」かもしれないが・・・。一直線に飛んできて花に止まり、ときには花の上空でホバリング(空中飛行)し、触覚を伸ばして花蜜を吸う。新型輸送機オスプレイ(MV22)みたいな奴だ。

少年のころ捕虫網でこの蝶を捕ったが、標本にするために殺虫するとき、蛾に似て胴が太いので気持ちが悪かった。網越しに汁気が飛び出し、つぶす指が濡れた。それでもこの蝶の「飛翔するさま」は見事であった。

一文字せせりが鉢植えの花に飛んできて、しばらく空中遊泳をしたあと飛び去った。人間が空を飛べたらということを少年の頃はよく考えたが、現在は空想だにしない。四肢が痛くも痒くもなく自由に動かせたら、と考えることはあっても・・・。(2011/06/15)

 

405『猫じゃ猫邪』

当庵にはギンちゃんという猫がいるが、ギンちゃんは自分が猫でなく人間だと信じ込んでいるようだ。当庵の二人の住人の生活パターンを覚えこみ、それに合わせた行動を取っている。

ギンちゃんは午後に≪お部屋≫から出てくると、先ず筆者のいる洋間の窓辺に座りこんでガラス越しに通りを眺める。前庭には台杉や白樫の木や山帽子などの樹木があり、小鳥や昆虫がときたま飛んでくる。すると尻尾を烈しく振って興奮する。歓迎する。

それから筆者がゴロっと寝そべると傍らに来てうずくまり、自分も同じようにまどろむ。そうして20分もすると起き上がり、背伸びをして遊びにでかける。2時30分がおやつタイムで≪花ささみ≫を旨そうに食べ、食べたあとは長い廊下を≪脱兎(脱猫)≫のごとく駆けまわる。運動する。

6時頃が人間さんの晩餐会で、このときは強制もしないのに独りでソファーに寝て熟睡する。晩餐会がお開きになる7時頃やおら起き出し、壁の掛け時計をじっと見詰めている。猫が時計を眺めるとは?はじめ不思議に思ったが、どうやら体内時計と掛け時計が合っているか確かめているらしい。

前後するが4時から6時ころがトイレタイム。「ギンちゃん、しっこしましょうね」と声をかけ、人間がトイレに籠もるとギンちゃんも自分の≪お部屋≫のトイレに行って用を足す。そして排泄物に砂をかける。

「お利口さんね。ギンちゃんお利口さんね」を褒めると得意がっている、ように見える。ときには声をかけなくても、人間が用足しをすれば猫も用を足すとこもある。

「お利口さん」「ダメ」「ご飯」「おやつ」「怖いぞ〜」「お父さん」「お母さん」「おいで」「チューチュ(小鳥)」「上(天井を見る)」「しっこ・うんこ」「ガリガリ(爪とぎ)」・・・などの人語を発すると尻尾を烈しく振って反応したり、窓や天井を見たり近寄ってきたりする。

人間に従順な猫なんて。それじゃ犬じゃないか。それじゃ、猫邪ないかというかもしれないが、それが可愛いのである。(2011/06/11)

 

404『自己医院』

ホームドクターとは、家族のかかりつけの医院、家庭医をいう。またセカンド・オピニオンとは、現在診察している医者の診断や治療方法について他の医者の意見を求めることをいう。これという信頼できる医者を決め、更にその医者が誤診をしないように万全を期するという意味の言葉である。

以上の他に「自己医院」があることをご存じだろうか。熱が出て体がだるい、というときなど救急箱から体温計を取り出して検温。体のだるさの原因・・・胸や喉や関節の痛みはあるか、尿や便の色や回数はどうかなどを自問し自答。触診もする。私も医者であるという自己医院の医院長「アイ・ドクター」もある。

じつは物心つくころから誰にでもアイ・ドクターがいるのだが、殆どの人は自分が医者であること、自分の主治医は自分であることに気付いていない。そして名医であることも知らないで過ごしているのである。

自分の体については自分が一番よく知っている。熟知している。肉体の痛痒や内臓の状態などについて。ただし、名医になるための「診察力」への努力は怠ってはならない。

一例を挙げれば、体調が通常のときの身心の状態を記録しておくこと。つまり「日常カルテ」の基礎資料と体調不良時の「非日常カルテ」との照合をもって診断するのである。両カルテの蓄積があって身心観察がしっかりしていれば、あなたもわたしも名医になれるというもの。

ところが、自己医院のカルテに記載漏れがあったり、またアイ・ドクターが自分の病気の恐ろしさに我を忘れてしまったりしては、正しい診断力を失う。それでは「赤髭先生」にはなれず「藪井竹庵」になりさがってしまう。

アイ・ドクターの本領は診断、見立てにある。あくまでも「診断」が肝心で、薬剤の処方やオペ(怪我や化膿の手術)は慎重を期すべきだ。自己医院(の救急箱)にはたしかに医薬品や指鋏やヨードチンキや傷テープもあるが、みだりに使用してはならない。「治療」優先の考え違いをすると命取りになることもある。これを「生兵法」という。

なお家庭にあって「自己医院」は家族の誰もが受診するものだが、「マイ・ドクター」は厳然としてその個人に属する医者である。たとえば父ちゃんのマイ・ドクターが、吾が子を診断することは危険極まりない。これは覚えておきたいことだ。(2011/06/05)

 

403『指事情』

筆者は手が頑丈で、手の指も頑丈である。いや、頑丈であった。手の甲が分厚く五指とも太く、うそをいえば普通の人の1・5倍はあるだろう。自慢するものでもないが、手だけは「偉丈夫」だと思っていた。

青少年のころには書痙に憧れた。書痙は心身症の一種で、字を書こうとすると疼痛あるいは痙攣を伴い、書くことが困難になる。速記者、代書人、文筆家などに見られる、と『広辞苑』にある。

速記者や代書人にではなく、文筆家に憧れ、書痙に憧れたのである。筆者の俳句の先生が書痙になったと聞き、また当時短編小説を書いていたので、ペンを執ることで手指が痛くなったり病気になったりするのであれば本懐。悔いはないと考えたわけだ。鉛筆で藁半紙にせっせと小説を書きなぐっても、結局は書痙にならなかった。

その筆者の手指が最近おかしい。親指の関節を中心に五指とも力が入らず動きがぎこちなく、痛みがはしる。ボールペンがしっかり握れず、万年筆なら持ち方を少し換えて書けるので、それで凌いでいる。ざっくりいうと、筆圧が堪えなれないのだ。右手だけでなく左手も軽症ながら痛む。

薬瓶のキャップや、チオビタドリンクのキャップを緩めるのが命懸け。靴紐をしばる力はなんとか出せるが、指の動作がままならず余計な時間がかかる。若いころの握力と器用さは、どこへ行ったのだろう。

指は「五人組」と比喩される。五本の指が微妙に力を合わせるので凄いことができる。一本では出来ないことができる。「この指とまれ、筋肉マンよ、力道よ」。

パソコンのキーボードを叩くことには支障がなく、それだけは助かっている。(2011/05/25)

 

402『××試飲会』

酒の「さ」の字も知らない時分に、ひょんなことから利酒会に行かねばならない羽目に陥った。年端もゆかない少年期のことで、折悪しく怪我をした親父の名代として、である。

会場は宵の口から明りを耿耿と灯していた。雰囲気は旅館のような病院のような場所で、慣れない酒の匂いのような薬の匂いのような空気がただよい、落ち着かない状態であった。

酒蔵の主人や杜氏や日本酒類組合などの関係者、女子従業員がガラス容器に日本酒を注ぎ、それを試飲した審査員が傍らの用紙に何事か書き込む。少年である私の席には従業員がついて、私がしゃべることを書き込んでくれる手筈だった。

審査委員は大人が多いが、会場を眺めると私のような少年や幼い少女も混じっていた。利酒なので酒は口に含むくらいで舌頭の感触や酒の香りについて述べればよいらしい。それでも誤飲というか酒を嚥下してしまうこともあった。

酒の味や香りといったものが全く感じられず、何をどう言ったらよいか私には分からなかった。会場のテーブルをぐるぐると廻ってコップは口に運ぶが、気の利いた感想はなかなか出てこなかった。

審査員たちのひそひそ話す声が耳に入ってくる。「17度か?大したことないぞ」「大きなぐい飲みがあればなあ」「百薬の長だから」「でも気違い水っていうぞ」「親の小言と冷酒は後で効くそうだ」「利酒会に子どもはどうかと思うよ」「子どものうちから酒呑むと、甲状腺癌になるっていうじゃないか」。

「原材料は明らかだが炭酸ガスや酵素反応は、ちゃんと検証されていたかな?」「そんな醸造法など素人が知るものか」「でもアルコール依存症の元になるぞ」「キッチンドリンカーになると脅かされても、四年後のことだわ」「毒消しのヨウ素剤を飲めばいいことよ」。

・・・会場にはBGMのクラシック音楽が流れた。私は近寄ってきた審査委員のおじさんに聞いた。「この曲はシューベルトですよね。素敵ですね」。「いやいや、シューベルトじゃなくて、シーベルトだよ。放射能の数値を流しているのだよ」。

このとき私は、目が覚めた。夢を見ていたのだった。(2011/05/18)

 

401『コラムetc』

このコラムは400回を越え、今回は401回目になる。1回分を400字詰め原稿用紙に換算すると2枚半から3枚だから、合計で1000枚から1200枚になろうか。月4回のペースが最近ではペースダウンしているが、何とか持ちこたえている。

連句や俳句や言語についてはよく書くが、政治や社会のこと私生活のことはほとんど書かない。政治や社会のことは短い文章では意が尽くせず、私生活については語るほどの生活がない。誤解を生み易いし、気恥ずかしいので避けて通る。

話はガラッと変わるが、泥棒や犯罪にも上品と下品があるかもしれない。

最近の出来事だが、警備会社に押し入って宿直員をおどして金庫を開けさせ、6億円を強奪した事件が東京の立川市にあった。犯人は被害者に怪我を負わせている。6億円は現金強奪事件の最高額といわれている。

これを聞いて思い出すのが以前、東京は府中市で起きた三億円事件だ。白バイ警官になりすまして現金輸送車を誘導し、乗務員をまんまと騙して三億円を強奪した。この事件では被害者に怪我一つさせていない。

どちらも現時点で「強奪」は見事に成功しているが、「立川市」は被害者に怪我をさ「府中市」は怪我をさせていない。片や「刃物」で片や「発煙筒」、はじめから殺傷が計画にあるのに対して、殺傷は考えずびっくりさせるだけという、手口に大きな相違点がある。

この二つは犯罪史の善悪ランク付けで「府中市」は「粋」で、「立川市」は「無粋」となろうか。

ところで石川五右衛門や鼠小僧次郎吉の「手口」は?両者実在していたらしいが、読み物や演劇や講談などでしか検証できない。その限りでは二人とも「粋」のカテゴリに入るだろう。

人物を特定しないで「粋な犯罪」を挙げれば、それは「詐欺」。人間心理の綾の隙をつく犯罪で、芸術の域に達しているものもある。

潔癖症の天才詐欺師をえがいたアメリカ映画「マッチステイック・メン」はよかった。ニコラス・ケイジの演技が光る。

話はガラッと変わるが、おもしろいネーミングがある。以下は実在のものだが、メイカーや所在地は伏せておく。

・ナメクジを捕獲殺虫する薬剤「ナメトール」。

(やくざが「あんたナメトンカ?」と聞くので)

・蟻の退治のスプレー式・殺虫剤「アリパンチ」。

(強烈パンチの僕サー、モハメッド・アリだよ)

・居酒屋「ジョンノレン」。

(くくく、潜ってよ。ビートルズ好きなオーナーさん)

・豚さん印の「トンカチ」。

(しっかり、かっちり打てる金槌)

(2011/05/10)